「赤ちゃん扱い」するファンへの投稿が大論争へ。なぜオタクは “推し” を「可愛い」と思うのか?【梁木みのり】
◾️人はどんなものに「可愛い」と思うのか?
では、人はどんなものに「可愛い」と思うのか。具体例を考えてみよう。たとえば、その人が何かへまをやらかした時。子どものように素直なリアクションをした時。程度にもよるが、ぶりっ子な言動をした時。単にニコニコ微笑んでいる時。
「かっこいい」「すごい」「憧れ」が自分から遠く離れたものに抱く感情であるのに対して、「可愛い」はすぐ近くのもの、あるいはすぐ近くに感じられるものに抱く感情だ。芸能人の人間味のある弱点を知って身近に感じ、「意外とそういうところあるんだ、可愛い!」、あるいは、ぶりっ子やあざとい言動をして、こちらに媚びるかのように近づいてきてくれる人に「可愛い!」と思う。丸腰で、安全で、親密な存在。「可愛い」とは近さの感覚ではないかと私は考えている。
母性もこの「可愛い」で説明ができるだろう。赤ちゃんは力がなく、大人を頼ってしか生きられず、我が子ならば親である自分の腕の中に収まっている、何よりも近い存在。母性と言うくらいだから、この「可愛い」に対して女性のほうがより敏感だということはあるかもしれない。ただし、「可愛い」の対象はなにも、小さくてか弱い赤ちゃんばかりではない。うんと育ちきった成人男性にだって、近さを感じれば「可愛い」と感じることがある。そしてそれがエスカレートすれば、究極の近さ=赤ちゃん扱いにも至る。
では、なぜアイドルや推しが「可愛い」と結びつくのか。これはファンが得る情報量に要因を見出すことができる。たとえば、かつての銀幕のスターは映画の中の姿だけを大衆に見られ、スポーツ選手も以前は試合中の姿だけをメインで見られていた。人間くさいところが見えなければ、ファンには遠い存在・すごい存在だと思われる。対して現在のアイドルや推しになり得る職業の人たちは、テレビ、YouTube、SNSなどで、人間くさい面も含めてあらゆる姿をファンに見せている。見せれば見せるほど、ファンはまるでその人が目の前にいるかのような、親密な相手であるかのような錯覚に陥る。ファンから見れば推しはとても近いのに、推しから見ればファンは特に近くはないという、不均衡な状態が生まれる。
この不均衡さは、人前で何かをやってみせる人ならばほとんど必ずついて回るものだろう。職業アイドルに限らず、声優、芸人、スポーツ選手、クイズプレイヤーなど、あらゆる人前に出る人のアイドル化・推し化が見受けられる。先述の通り、人前で超絶技巧だけを見せてさっそうと去れば「可愛い」とは思われないだろうが、人前で見せるものがその人の人間性そのものに近くなればなるほど、ファンは近さを感じ、「可愛い」を暴走させる。